チリは南北4300kmというとても細長い国です。その北部の1000kmにおよぶ地域がアタカマ砂漠と呼ばれ、世界で最も乾燥したところです。太平洋側を北上するフンボルト寒流と東側に位置する標高6000m級のアンデス山脈に挟まれていることが、極端な乾燥の原因です。写真1は、ハッブル宇宙望遠鏡を修理中のスペースシャトルから撮影したチリ北部の写真ですが、上記の状況が手に取るようにわかります。ESO(欧州南天天文台)のVLTは海岸からわずか25km程度のところにありますが、ALMAサイトは、海岸から約300km 内陸に入った高地です。
日本のサイト調査チームは、このチリ北部の優位性、つまり標高が高くて広大な土地があるという点に着目しました。そして、1992年から、世界に先駆けてチリ北部でのサイト調査を開始しました(写真2)。海抜5000mでは、海抜0mに比べて気圧が2分の1となり、酸素量50パーセントとなります。このような高地では個人差がありますが、血中酸素濃度が低くなることにともなう低酸素症や、場合によってはさらに重症の急性の高山病になります。私自身も、調査の初期の頃に、マイナス10度の海抜4200mで風邪を引いて高熱が2日間続き、あわや高山病になりかかったことがあります。地元の協力者からもらったコカの葉を煎じて飲んで危機を脱しました。
また、あるときは、砂漠で迷子になりました。米国国立天文台のスタッフ2名が1台の車に、私が1人でもう1台の車を運転して、アタカマ塩湖の南を通って、太平洋岸のアントファガスタまで帰る時でした(当時はカラマに空港がなく、アントファガスタ空港からサイトまで4輪駆動車で往復していました)。途中のオフロードで時間を浪費しすぎて、あたりは真っ暗になってしまいました。当然GPSは持っていたのですが、経度・緯度を知っただけでは、道は分かりません。なにしろ道といっても、他の車がつけた轍のことですので、真っ暗な砂漠では見つけるのが大変困難です。GPS 測定による試行錯誤を繰り返した結果、ようやくサンペドロ・デ・アタカマへの道を発見できました。
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写真2:チリ北部でのサイト調査で衛星携帯電話を使う筆者。 |
サンペドロ・デ・アタカマへ到着したときは既に午後10時30分をまわっており、頼みの綱のガソリンスタンドも閉まっていました。車の燃料計の針はほとんどゼロでしたが、このまま約100km先のカラマまで行くことを決意しました。カラマへの道は舗装されていますが、途中でガス欠になることは目にみえていました。そこで、峠を越えたあたりから、下り坂はすべてニュートラルで車をころがして、燃料の節約をはかりました(写真3)。このような危機的状況にあっても、人間の好奇心というのは恐ろしいもので、ときどきヘッドライトを消しては満天の星空を楽しんでいました。
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写真3:サンペドロ・デ・アタカマからカラマに向かう下り道。 |
このような苦労をしながら、現在のALMAサイトを眼の前にした時には、火星の表面に降り立ったような感じがし、ここならALMAが作れると確信しました。ALMA計画が現実のものとなり、いまそこで着々と建設が進んでいるのを見るとき、とても感慨深いものがあります。