2013年4月26日(チリ時間)、アルマ望遠鏡で日本が開発を担当した直径7mのパラボラアンテナの最後の1台が標高5000mの山頂施設に設置されました。これで、日本製の全16台のパラボラアンテナの設置が完了したことになります。
アルマ望遠鏡は東アジア、北米、欧州とチリ共和国の国際共同プロジェクトとして推進されており、日本は16台のパラボラアンテナ(直径12mアンテナが4台、直径7mアンテナが12台)、3つの周波数帯の電波を受信する高感度電波受信機(米欧が開発するものも含め、全66台のアンテナに搭載)、そして16台のパラボラアンテナで集められた信号を処理する相関器の開発を分担しています。16台のパラボラアンテナ、受信機、相関器からなるシステムを「アタカマコンパクトアレイ(Atacama Compact Array, ACA)」と呼び、アルマ望遠鏡のアンテナ群の中心付近に、その名の通りコンパクトな配列で設置されます。ACAは、米欧が開発する50台の12mアンテナではとらえきれない大きく広がった天体が発する電波を余すところなくキャッチすることができ、アルマ望遠鏡が撮影する電波写真をより高精度なものにすることが可能になります。
16台目のアンテナを山頂に設置
今回山頂施設に運ばれたのは、直径7mアンテナの最後の1台でした。7mアンテナはアルマ望遠鏡のアンテナを運ぶために設計・開発された専用トランスポーターに搭載され、性能確認試験が行われた標高2900mの山麓施設を午前10時30分に出発しました。山頂施設までの28kmの道のりを6時間かけてゆっくりと運ばれたのち、午後5時30分ごろに所定の場所に設置されました。ACAの第1号アンテナが山頂施設に設置された2009年9月から3年半で、16台すべてのアンテナが設置されたことになります。(参考:2009年9月18日 アルマ・プロジェクト 最初のアンテナが山頂施設へ移動 )また北米製・欧州製の一部のアンテナは山麓施設で性能評価試験が続けられており、全てのアンテナの山頂施設設置を完了させたのは日本が一番乗りとなりました。
今回の16台のアンテナ設置完了を受けて、東アジア・アルマプロジェクトマネージャとしてプロジェクトの統括を行ってきた井口聖 国立天文台チリ観測所教授は、「日本のアルマ望遠鏡計画がスタートしたのが 2004年4月、すべてのアンテナが完成したのが 2012年3月、そして待ちに待った”日本のすべてのアンテナが山頂に揃う”この瞬間が来ました。山頂での運用は非常に過酷なだけに、山麓施設にてさまざまな厳しい評価試験を実施し、それらすべての評価項目を合格したアンテナが山頂に運ばれます。アンテナには受信機に代表されるように多くの精密機器が搭載されており、これらの試験項目は膨大でした。アルマ望遠鏡日本製パラボラアンテナ16台の山頂施設設置が着実に完了した背景には、東アジア・アルマ システムエンジニアリング&インテグレーションマネージャ 水野範和准教授率いるチームメンバーやそれを支援してきたすべての人々、合同アルマ観測所の皆さん、そして関連する企業の皆さんの絶え間ない努力があり、それは忘れてはならないことです。これから、これらアンテナ群は完全なアタカマコンパクトアレイ(ACA)として本格的に運用を開始します。ACA は、アルマ望遠鏡の中でより鮮明な高精度の天体画像を描く役割を持っています。今後、アルマ望遠鏡で得られたその高精度の天体画像によって、惑星系の誕生や銀河の進化の姿、そして生命につながる宇宙の物質の進化のようすが、続々と明らかにされていくことを期待しています。」と述べています。
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画像2. アンテナ設置後に肩を組んで喜ぶ国立天文台および合同アルマ観測所、三菱電機のスタッフ。中央で黄色いヘルメットをかぶっている二人が国立天文台のスタッフ(右が水野範和 准教授、左がアンテナチームのオスカル・メンデス)。
Credit: ALMA (ESO/NAOJ/NRAO), O. Mendez (NAOJ)
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画像3. 設置が完了したACAの16台のパラボラアンテナ。右奥には米欧が開発した12mアンテナ群が見えている。
Credit: ALMA (ESO/NAOJ/NRAO), O. Mendez (NAOJ)
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「モリタアレイ」の命名
また2013年3月にチリ・サンティアゴで開催されたアルマ評議会において、ACAの別名を故 森田耕一郎 国立天文台チリ観測所教授の名を冠した「モリタアレイ」とすることが、全会一致で決定されました。ハッブル宇宙望遠鏡やハーシェル宇宙望遠鏡など海外の天文学者の名を冠する望遠鏡は多くありますが、日本国外に設置される望遠鏡に日本人の名前がつくのは初めてのことです。
故森田耕一郎教授は、名古屋大学大学院在学時から一貫して、複数のアンテナを組み合わせて一つの望遠鏡として動作させる「開口合成法」の研究に従事されました。1980年代、野辺山宇宙電波観測所でミリ波干渉計の建設と運用に大きな貢献を残され、開口合成法の研究において世界を代表する研究者の1人して活躍されました。2000年代に入ってアルマ望遠鏡計画に参加し、ACAのアンテナ16台の配列設計を行い、ミリ波サブミリ波帯での天体電波画像の高画質化の研究において多大な業績を残されました。その後、2010年にチリに設置された合同アルマ観測所のメンバーとなられ、アルマ望遠鏡のシステム性能評価を行うチームのリーダーという中心的な立場で国際的に活躍されました。アルマ望遠鏡が試験観測を開始しさらなる活躍が期待される中、森田教授は2012年5月7日に赴任先のチリ・サンティアゴ市内にて不慮の事故に巻き込まれて急逝されました。今回の命名は、アルマ望遠鏡における故 森田教授の貢献の大きさを物語るものです。
アルマ評議会で命名の提案を行った林正彦 国立天文台長は、今回の命名について「森田耕一郎教授は、日本からアルマ望遠鏡への最大の貢献であるACAを立案し、それを実現に導いた中心人物でした。彼の名前をアルマ望遠鏡の一部として残すことに、パートナー国の代表全員が喜んで賛成してくれました。彼を失った悲しみは消えませんが、その名がアルマ望遠鏡に残ることになったのは嬉しい限りです。」と述べています。
ACAは広がった天体が放射する電波をもれなく観測するために開発されましたが、この目的を達成するための詳細設計、つまりどのくらいの大きさのアンテナを何台、どのように並べればよいのか、を様々なシミュレーションを重ねて導き出したのが故 森田教授でした。試験観測の結果、この目的は十分に達成されていることが証明され、モリタアレイは今年から科学観測に供されています。故 森田教授の名が刻みこまれた望遠鏡は、その高い性能で人類の宇宙観に新たなページを加えてくれることでしょう。
注
ACA(モリタアレイ)の16台のアンテナには、一般公募の結果「いざよい(十六夜)」という愛称がつけられています。「いざよい」はアンテナのみを指す愛称ですが、その中に搭載された受信機や信号を処理するACA相関器などを含めた望遠鏡システム全体の名前をACA(モリタアレイ)と呼びます。
アルマ望遠鏡
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上図を拡大する (JPEG/335 KB)
アルマ望遠鏡完成予想図
Credit: ALMA(ESO/NAOJ/NRAO)