── 連載の第1回と第2回で、アルマ望遠鏡のしくみを学びました。
平松 : そうですね。第1回では望遠鏡が人間の視覚に例えられること、望遠鏡を大きくすればよく見えること、第2回ではたくさんのアンテナを組み合わせて視力を上げる原理についてご紹介しました。ここまで学んだので、今回はいよいよ観測のお話です。
── やっと宇宙のひみつを解き明かせるところまで来た、ということですね。早く天体を見てみたいです。
平松 : 天体を見るといっても、ふつうの望遠鏡と違ってアルマ望遠鏡には「のぞく」ところはないので、気をつけてくださいね。その代わり、人間の視覚では「脳」に相当する専用コンピュータ(相関器)で信号を処理します。そのデータをコンピュータの画面越しに見ることになります。
── この広い宇宙の姿が画面の中に広がっているというのも、ワクワクします。
平松 : 実際の観測をする場合は、やみくもに望遠鏡を空に向けるのではなく、ターゲットとなる天体を指定します。その天体の位置を望遠鏡に教えてあげることで、望遠鏡がその天体を向いてデータを取り始めるわけです。ところが実際には、ターゲット天体以外にもいろいろ見なくてはいけない天体があるんです。
── どういうことですか?
平松 : たとえ話をしてみましょう。手元の鉛筆の長さを正確に測ってください、と言われたら、どうしますか?
── 定規を当てて測る、でしょうか。
平松 : そうですね。では、もし定規がなかったら?
── うーん、身の回りの他のものと比べるとか…、でも、正確に測るのは難しいですね。
平松 : はい。実は、アルマ望遠鏡で天体を観測するときも同じで、ターゲット天体だけを観測しても、その電波の強度を正確には測れないのです。電波の強度があらかじめわかっている天体をまず観測して、そこで得られる信号の強度と比較することで初めて、ターゲット天体の電波強度を知ることができるんです。
── 観測の前にまず定規を準備する、ということですね。「電波の強度があらかじめわかっている天体」というのは、他の望遠鏡で観測済みの天体、ということですか?
平松 : 他の望遠鏡で観測するときも、やっぱり「定規」を決める必要がありますから、観測に頼らない方法のほうがいいですね。実は、太陽系内の天体なら計算で電波強度を求めることができます。太陽からの距離と地球からの距離、その天体の大きさなどから、電波強度がわかるんです。アルマ望遠鏡で使われているのは、木星の衛星であるガニメデとカリスト、天王星や海王星などです。これらが「定規」になるんです。「定規」になる天体を、「較正(こうせい)天体」とか「キャリブレータ―」と呼びます。
── 地球のきょうだい星たちが頼りなんですね。
平松 : さらに、観測を続けていると、次第に天気が変わってくることがあります。空気中に水蒸気が増えてくると、電波が吸収されるので、望遠鏡に届く天体からの電波が弱くなってしまうんですね。また、望遠鏡システムの電気的な性質が時間と共に変わってくることがあります。これらを補正するために、数分に1回くらいの頻度で較正天体を観測します。空の方向によっても水蒸気量の変わり方が違うので、較正天体はターゲット天体にできるだけ近いほうがいいです。
── 先ほどの太陽系の天体だと、そんなに都合よくターゲット天体の近くにはないですよね?
平松 : そのとおり。先ほどの太陽系天体は、定規の目盛りを決めるための較正天体でした。今度は、観測している間の変動を取り除くための別の較正天体が必要です。それには、「クエーサー」と呼ばれる、電波の強い天体が使われます。クエーサーは、非常に遠くにある銀河で、中心にある超巨大ブラックホールの周囲からとても強い電波が出ています。
── クエーサーはたくさんあるんですか?
平松 : アルマ望遠鏡以前の観測で、たくさん見つかっています。でも、これまでの電波望遠鏡は北半球に多かったので、チリのアルマ望遠鏡から見やすい空の南のほうで知られているクエーサーは少ないんです。また、アルマ望遠鏡はこれまでの望遠鏡よりも高い周波数で観測するので、そんな高い周波数での観測実績がないものも多いです。さらに、較正天体は「点」にしか見えないことが重要です。較正天体が複雑な構造を持っていたら、データの補正作業が複雑になってしまうんです。クエーサーは非常に遠くにある天体なので、ほとんどは点にしか見えないんですが、アルマ望遠鏡は解像度が高いので、クエーサーによっては構造が見えてしまうことがあります。ですから、実際に較正天体として使う前に、較正天体として適しているかどうかを試験的に観測してみる必要があります。
── なるほど、定規の準備も手間がかかるのですね。
平松 : また、アンテナが遠く離れていると、個々のアンテナの上空にある水蒸気量が違うことがあるんです。実は、電波が水蒸気を通るときには、進み方が少し遅れます(図3)。前回、電波干渉計では2台のアンテナで捉えた信号の「時間差」を測ることで天体の位置を特定する、というお話をしました。だから、水蒸気の影響はきちんと取り除いてやらないと、天体の位置をきちんと測れない、つまり精度の高い天体画像が作れなくなるんです。
── 前回の勉強がここで活きてきますね。
平松 : 重要なのは、先ほどお話したように、クエーサーが点にしか見えない、ということです。もしひとつのアンテナに届く電波が遅れたら、そのぶんクエーサーの画像がにじんで点に見えなくなります。逆にこれが点像になるようにデータをあとから補正してやれば、水蒸気の影響が取り除けたということになります。点に見えるクエーサーは、この点で較正天体として都合がいいのです。
平松 : クエーサーの電波強度は数週間くらいの時間をかけて変わっていくので、「定規」の目盛りをつけるには向いていません。ただし数時間のスケールでは電波強度はあまり変わらないので、1回の観測のうちでの気象条件の変化を追いかけるためであれば使えます。実際には、例えば観測のはじめに太陽系天体を観測して「正確な目盛りのついた定規」を準備します。その後に、観測条件や装置条件の時間変化を追いかけるために、クエーサー、ターゲット天体、クエーサー、ターゲット天体、というふうに交互に観測します。これらをセットにして、やっと信頼できるデータが出来上がるわけです。そしてあとからデータ解析をするときに、太陽系天体やクエーサーのデータをまず処理して、その強度や変動の情報をターゲット天体のデータに適用してはじめて、研究に使えるデータができるのです。
── 見たい天体に望遠鏡を向けてパシャっと写真を撮る、というほど単純ではないのがよくわかりました。アルマ望遠鏡以外の望遠鏡でもそうなんですか?
平松 : 電波望遠鏡はもちろんそうです。すばる望遠鏡のような光学望遠鏡でも、「標準星」と呼ばれる絶対的な明るさが既にわかっている天体を観測する必要があります。
── データの較正は、どこでも重要なことなんですね。
平松 : 電波望遠鏡の場合に特徴的なのは、「オフ点」と呼ばれる場所の観測です。「オフ(OFF)」というのは、天体のない場所、ということです。逆に、天体がある場所を「オン(ON)点」と呼びます。
── 天体のない場所を観測する、ということですか?それはどんな意味があるんでしょうか?
平松 : 天体がない場所でも、実は地球の大気が電波を出しているんですね。ある天体を観測した時に望遠鏡で検出される電波というのは、望遠鏡が向いている方向にある大気の電波と天体の電波が混ざりあったものなんです。天体の電波だけを取り出すためには、大気の電波を引き算しないといけません。なので、天体がない場所をわざわざ観測して、その電波強度を記録しておくわけです(図4)。
── 大気が電波を出しているなんて、考えたこともなかったです。
平松 : 実は、天体の電波より大気の電波のほうがずっとずっと強いんです。だから、いかに大気の電波をきれいに引き算できるかが重要なわけです。大気の状況は刻々と変化しますし、見る方向によっても違います。だから、ターゲット天体にできるだけ近い位置でオフ点を見つける必要があります。
平松 : 私もアルマ望遠鏡ではない別の電波望遠鏡でオフ点を探したことがありますが、結構大変です。例えば、赤ちゃん星がターゲット天体の時。赤ちゃん星というのは宇宙のガスの雲の中で生まれますから、ターゲット天体のまわりには電波を出すガスが広がっていて、オフ点を見つけるのが難しいのです。過去の論文を参考にして、「赤ちゃん星からこれくらい離れたらもうガス雲はないだろう」とあたりをつけて観測するんですが、ガス雲が予想外に大きく広がっていて電波が検出されてしまったりします。これではオフ点として使えないので、もう少しターゲット天体から離れたところを観測して天体の電波の有無を確かめて、という試行錯誤を繰り返す必要があります。しかも、その広がりはターゲット天体によってまちまちですから、ターゲットになる天体に合わせてひとつひとつオフ点を探すのはとても骨の折れる作業です。
── アルマ望遠鏡でも、オフ点を探しているんですか?
平松 : 実は、電波干渉計の場合はオフ点が不要なんです。2台のアンテナのデータを組み合わせることで、大気の影響をキャンセルすることができるんですね。
── 前回、アルマ望遠鏡の日本製12mアンテナは単一鏡として観測する、と伺いました。こちらはオフ点が必要ですか?
平松 : そうです。日本製12mアンテナで観測するターゲットに合わせて、合同アルマ観測所のスタッフが事前にオフ点を探しておくんです。
── アルマ望遠鏡のいろいろな発表の裏に、注意深いデータの処理が必要なことがうかがい知れました。観測って、奥が深いですね。
平松 : どうがんばっても手の届かない、近寄ることもできないはるか彼方にある天体のようすを正確に捉えるために、天文学者はこれまでにいろいろな工夫を重ねてきました。いろいろな成果は、その上に成り立っているんですね。
── ありがとうございました。